ドラえもん50周年記念作品『映画ドラえもん のび太の新恐竜』観てきました。
客席はもちろんほとんど親子連れ。
みんな楽しそうに観ていていい雰囲気でした。
自分も楽しかったです。

自分は『のび太の恐竜』原理主義者なので今回下手なものを出されたらプンスコ怒りながら帰るつもりだったのですが普通によくてゴキゲンでした。
新恐竜は以前のものとはストーリーもテーマもまるで違っていてなかなか考えさせられました。
それでいてオリジナルへのリスペクトもあってよかったです。
なにより大スクリーンを恐竜がいろいろと登場するだけで見応えがあります。
生物・進化学的な考証も興味深かったです。

この日はリバイバルしてた『インターステラー』も観たのですがあっちは劇中「相対性理論がね!」って何度も説明しているのに対して、ドラえもんではタイムマシンでひとっ飛びというそれがもう当たり前になってるの改めてすごいと思いました。
ドラえもんによりほとんどの日本人にインストールされてしまっているタイムマシンという概念。
SF作品としてのドラえもんの強さを再確認しました。
いろいろ登場するひみつ道具も使い方を工夫するという考え方が生活にも役立ちますね。
そういうのをひっくるめて今あらためて言わせてもらうなら、
ありがとう、藤子不二雄先生(F先生もA先生も)!!



予告編のあとはネタバレにご注意を。





【新恐竜】
おおまかなストーリーラインはオリジナルと似ています。
のび太がひろった恐竜の化石(卵)から恐竜が生まれて・・・っていう。
生まれた恐竜がオリジナルでは水棲だったのに対して今回は陸上を走ったり飛んだりする。しかも双子。
これがなんでだろうって気になって観ることになるんですが、その答えを知るとなるほどと納得のおもしろい仕掛け。
進化の瞬間に立ち会うという貴重な体験ができます。
そこから感じる生命の力強さは人が生きることの意味まで繋がります。
壮大な時間スケールからそれを眺めるということってすごいことです。

かつて恐竜という巨大な生物が地球上を闊歩していた。
彼らは絶滅したかに見えたが現在も形を変えて生きている。
では人類はこれからどこへ向かうのか。
思いや願いが進化を導くのならばボクらは・・・。


【オリジナルとの差異】
細かいところでオリジナルとは違ってて気付きがおもしろいです。
・鼻でスパゲッティじゃなくて眼でピーナッツを食べる。
・恐竜を飼うのに公園の池ではなく飼育用ジオラマセット(重要ギミック)
・タイムマシンは故障しない。
・探検隊セットで環境変化に対応。
・タケコプターの電池は切れない。
・桃太郎印のきびだんごは品切れでともチョコに。
・キャンピングカプセルはキャンピングバルーンに(しずかのお風呂シーンは健在)
なにげに以前よりうまくやれるだろうってとこができてたり、アップグレードされてたりして感心。

・・・というふうに違いを匂わせておいて度肝を抜かれるシーンがひとつ。
海に落ちたのび太を助ける恐竜が謎の首長竜(声:神木隆之介)ってピー助じゃん!
鑑賞中ピー助のことを思い出して勝手にジーンってなってたところに一瞬だけど登場!
しまったそうきたか!と頭を横殴りにされました。
しかものび太は気絶中にピー助と遊ぶビジョンに触れる(目覚めた後は記憶なし)
これがどういうことかというと過去作の『のび太の恐竜』が別の世界線のものとして存在しているということ。
そういうのドラえもんならSF設定的にアリじゃん!ってクラクラしながら観てました。


【悪者は登場しない】
オリジナルでは恐竜ハンターが悪者として登場だったので今回も?と思いきやそれはなし。
悪者ふうに登場するのはタイムパトロールでした。
彼らは基本見守るだけなので存在感は薄いようだけど観客の目線になってくれてるんですよね。
のび太たちがどうするのかタイムパトロールと一緒に見守る。
悪者はいないけどディープインパクトや進化の瞬間とかで大変なのでスペクタクル感ありました。

ただこのタイムパトロールのふたりの芸能人枠ゲスト出演(木村拓哉と渡辺直美)がいまひとつで肝心のところで盛り上がりを削ぐのが残念。
「あー!そこはもうちょっと!!惜しい!!」ってうなだれました。
芸能人を使わないと宣伝にならないのはわかりますが、まあしょうがない。


【さようなら、キュー&ミュー】
ゲスト出演の声がいまいちといいましたがレギュラー陣はもちろん絶品の演技。
そして今回登場の二匹の恐竜の声が見事でした。
緑のキューを遠藤綾。
ピンクのミューを釘宮理恵。
鳴き声を聞いた瞬間かわいくもたくましく生きる恐竜たちに即感情移入です。
あとたまご探検隊の声の悠木碧もかわいかったです。
さて映画どらえもん、今回の予告によると次は「宇宙」らしいですよ。



歴史改変はけっして許されない。
しかしドラえもんという存在が隣にいることは許されている野比のび太という存在。
彼の行動には時にタイムパトロールですら介入できない。
人の持つやさしさと想像力、そういったものが未来への希望なのかもしれない。
我々はこれからも注意深く彼を観察する必要があるようだ。