2011年6月24日放送のドラえもんは「おばあちゃんの思い出」だから見よ見よ見よ見よ見よ見よ見よ見よ見よ・・・と携帯電話にDメールで緊急通達があったので録画して見ました。
泣くものかとがんばったけどやっぱり涙を流しまくってしまいました、くやしい!
やっぱりこのエピソードは特別です。

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3歳ののび太はおばあちゃんに甘えてばかりで、わがままを言い放題。
しまいには「おばあちゃんなんかキライだ!」とか。
実は自分も祖母(故人)に対してこういう若さ故の過ちをしたことがあるので、このシーンは実に心が痛みます。
子供の未熟さと年齢・世代の差による価値観の相違がしばしばこういう悲劇を生むので経験された方は多いかと思います。
そんな心のトゲを劇中ののび太と自分を重ね合わせることで、見終わったあとに視聴者が少し救われるんじゃないかと。
故人との思い出を、今一度思いだしてあげることが生者にとっての救いになるであろう、
タイムマシンで昔に戻って会いに行くことはできないけれど、思い出をいつまでも忘れないことが大切ですよ、というふうに自分は受け取りました。
おばあちゃん、ありがとう。

新キャストによる今回のバージョンでは、ややBGMが過剰に主張していたような気がしましたが、パリッとテンポ感のある雰囲気で好感でした。
「ここはこういう場面なんですよー」というのがわかりやすくてまあいいんじゃないかと。


あえて野暮にSF的な考察をするならば、
今回のエピソードではタイムトラベルにおける決定的な禁忌(タイムトラベル自体が禁忌か?)を犯しています。

・過去の自分に会う
(あと、おばあちゃん・母親・ジャイアン・スネ夫にも会っちゃってますしドラえもんも目撃されている)

これはともすれば世界線の崩壊にも繋がりかねない危険な行為ですが、
タイムパトロールによる抑止も一切ありません。
(監視はしていたのには違いありませんが)
くわえて過去に行くと言い出したのび太を止めるべきであるドラえもんですが、
結局のび太の言うとおり行かせてしまう。

結果として今回のエピソードで過去のび太、現在のび太共に人間的に大きく成長はしましたが、さて・・・。
ひとつの事象で過去と現在の自分が同時に変化する?

現在のび太は3歳の時に小学生の自分とドラえもんに会っていたことを憶えていない。
3歳という幼さゆえにそこまで記憶していなかったのだろうか?

タイムラインに浮かび上がる「野比のび太」という特別な存在。

すべてはこのドラえもん最終回(注:非公式です)に繋がっているように思われてなりません。



これが”運命の石の扉(シュタインズゲート)”の選択なのか?(つ∀-)